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受け継がれる地豆〜北海道遠軽町「貝豆」/山県市美山地区の地豆「桑の木豆」も 受け継がれる地豆〜北海道遠軽町「貝豆」/山県市美山地区の地豆「桑の木豆」も [おいしいもの/食について] 7月に北海道で買った豆を炊こうと思って、 豆を水に一晩つけて、よくあさ、朝日新聞を見ておどろいた。 「受け継がれる地豆」という記事で、わたしが珍しい豆を買った、 北海道遠軽町の記事だった。 「受け継がれる地豆」 味わい深い地元の宝 農村に伝わる地域独特の古い品種の豆、いわば「地豆」が見直されている。種苗会社が売る1代限りの種ではなく、農家が種を採り続けているのが特徴だ。生産量はごく少ないものの、個性的な色かたちや味わいを「地元の宝」として売り出す動きもある。(佐藤美千代) 2008.10.28 朝日新聞 サロマ湖から南下して、北見地方の遠軽町の道の駅で、 飲み物かお土産を買おうとしたんだけど、 なんと、お店にはお茶もなくて、乾燥した豆が数種類あっただけ。 もちろん豆は大好きだから買ったんだけど、インゲンの仲間とはわかるけど 見たこともない豆ばかりで、「このシマシマの豆はなんですか?」 とたずねたら
腕木信号と蒸気機関車〜1〜 林鉄の蒸気機関車では唯一の動体保存機 「雨宮21号」についてのたもうてみる 北海道遠軽町(旧丸瀬布町)には日本唯一の762mmクラスの林鉄蒸気である雨宮21号。 元々、東京深川の雨宮製作所で1928年(昭和3年)製造された森林鉄道向けの蒸気機関車で旧武利森林鉄道で使用されました。当時は石北本線が全通していなかった事もあり、分解して現地で組み立てられた機関車でもあるのです。自動貨車(トラック)がさほど行き渡っていなかった事もあったのでその苦労は想像を絶するものだったでしょう。 昭和32年にもなると森林鉄道での無煙化により、廃車の噂が出ましたが丸瀬布町のシンボルでもある雨宮21号は町民の手によって動体保存される事になり、現在に至っています。 昭和前期の製造である為、溶接技術の未熟さなども有り、リベット打ちが多用された無骨なスタイルになっています。森林鉄道用蒸気特有のダイヤモンド型集煙装置や腰高な印象ではありましたが、森林鉄道型の標準型機関車として雨宮製作所の名を世に知らしめる事になります。後の戦時標準設計のB20型にも大きな影響を与えています。 今で
第2回 豊かな縄文時代 ○そりゃ食糧不足の時もあっただろうけど 歴史と言うのは、必ずしも進歩すると言うわけではありません。 また、何を理由に進歩と定義するのか・・・というのは非常に難しい。その例を示してくれるのが、日本の縄文時代かもしれません。縄文時代は安定した食料の供給が出来ずに、食生活も貧しかったと教えられた人も多いでしょうが、とんでもない間違いです。歯のエナメル質減形成を調査したレポートの中には、江戸時代の人骨ほうが、縄文時代の人骨よりも歯のエナメル質が減っていた・・・なんてものもあります。 ちなみに縄文時代と言いますけど、もちろんある日突然縄文時代が始まったわけでもなければ、ある日突然終了したわけではありません。乱暴な言い方ですが、あくまで縄文土器を使っていた時代を基準とした大まかな区分であることを承知して下さい。また、この縄文時代は土器の形の変遷によって、現在のところ6期に分類されており、すなわち 草創期(紀元前1万5000年〜前10000年) 早期(前10000年〜前5000年)、 前期(前5000年〜前3500年) 中期(
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